乙訓神社
下鴨神社と上賀茂神社は、ともに京都で有名な神社ですが、今回は、特に下鴨神社と密接な関係のある「角ノ宮乙訓神社」の伝説です。
遠いむかし、それは、まだ神と人が仲良く暮らしていたころの話しでした。
賀茂川のほとりで美しい姫が遊んでいて、流れに浮かぶ真っ赤な矢を見つけた。
「まあ、美しい矢」。
姫の名は玉依姫(たまよりひめ)といい、神武天皇の建国のおり、姿を八咫鳥(やたがらす)に変えて大和へ天皇を導いた神・建角御命(たけつぬみのみこと)の娘だった。
大和平定後の建角御命は、北山に来て、その風光の美しさがすっかり気に入り、丹波の国から伊加児屋姫(いかごやひめ)を妻に迎えて住みついていて、玉依姫のほかに玉依彦という男の子も生まれていた。(写真の灯籠に「乙訓大明神」と記されている。)
下鴨神社より、まだ北の、北山のふもとの賀茂川。
賀茂川の清らかな流れに乗った一本の矢。
その矢は、まっすぐ姫の服のすそに向かって流れてきてあたります。
「奇妙なこと、何かのお告げだろうか」と姫は拾い上げた。
家に持ち帰ると、そっと自分のまくら元に置き、お告げの現れるのを待った。
すると、姫は身ごもり、やがて玉のような男の子を産んだ。
大切な娘に、父親のわからない子が生まれた、とあわてたのは、建角御命。
「なんとかして、父親をしらべねばならぬ」。
そこで、建角御命は大きな御殿を建て、多くの酒をかもして近所の若い神々を招待した。
呑めや歌えやの宴が続くこと七日七夜に及び、最後の夜、建角御命は娘の子に盃を持たせていった。
「お前の父に渡してみせよ」。
すると、子どもはすぅーと片手を上げ、天を指して「われは天神の子・別雷命(わけいかずちのみこと)だ」と言い放った。
と同時に、大地も揺るがす雷鳴がとどろき、火柱がサッと立って、子どもは御殿の屋根を突き破って天に昇ってしまった。
子どもを失った玉依姫は深い悲しみの底にしずんだ。
なにかにつけその姿が思い浮かばれ、心が痛んでやまなかった。
苦しみ抜いたあげく、玉依姫は、子を祀る神社(下鴨神社)を建て、どうにか心を落ち着けた。
それからしばらくして、姫は夢を見た。
わが子・別雷命があらわれ、「母君、われのみが祀られていては心も落ち着かないので、我が父をも祀って下さい」。こう告げると、すっと姿を消した。
夢から覚めた姫、自分の夫を祀らなかったのは気づかなかったと、さっとく御殿を建てる場所を探した。
北山から適地を求め、ついに弟国(乙訓)の地にいたり、ここに素晴らしい場所を発見した。
そして、別雷命の神社とそっくりのままに社を建て、その父・乙訓坐火雷神(おとくに おわす ほのいかずちのかみ)をまつった。
そして、その神社は乙訓坐火雷神社と呼ばれた。
追記:乙訓坐火雷神社は、略して乙訓神社といわれ、長岡京市井ノ内にある角ノ宮乙訓神社がそれにあたる。
下鴨神社と同格の古社だけに、朝廷の尊敬あつく繁栄をきわめた。
ところが、鎌倉時代の戦乱で神社は焼け、神体はついに向日神社に合祀されることになって、乙訓神社は向日神社だという説まで流れた。
角ノ宮というのは、建角御命をまつるようになったため、”角”をとって改称したのだという。
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