2005年02月26日

きつね渡し

 「おーい、船が着いたぞ」

 江戸時代も太平が続き、西国街道の往来は活気に満ちていた。
 ここは山崎村の泥ヶ浜。

 伏見から大阪へ下る“三十石船”の船着き場だった。
 季節の野菜、果物を積んだ大八車がやってきた。
 口丹波(亀岡市篠町あたり)から老ノ坂峠を越え、山崎を通って運ばれてきたのだ。

 「あらよっ、ほいきた」

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2005年02月24日

行基と人柱

 奈良時代の神亀2年(724)8月。高僧・行基(ぎょうぎ)が弟子を連れて、山崎の里へやってきた。
 西国へ説法行脚の途中だった。
 そして、淀川のほとりに着いた。しかし、渡し船が見当たらない。

 その場にたたずんだ行基。
 ふと、大きな柱が一本、川面に突き出ているのを見た。

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2005年02月22日

山崎長者の飛び倉

 昔、信濃の国に命蓮という法師がいたが、ぜひとも東大寺に参って受戒しようと思い、都へ上がってきた。
 この僧は、このまま故郷に帰るのをよしとせず、都の西南方の信貴山中にとどまり、厨子仏を感得して仏堂を建立、長年修行に励んでいた。
 その頃、山里に、身分は低いけれどもたいへん裕福な長者がいた。
 そこへこの僧の飛ばした鉢が飛んでくるので、長者はいつもその鉢に施しものをしていたのだった。   

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2005年02月11日

大山崎瓦窯

 遺跡のなまえ:白味才遺跡
 調査地の住所:京都府乙訓郡大山崎町小字永福寺29-1番地
 調査期間:2004年11月10日〜2005年2月28日
 調査面積:400平方メートル90
 調査主体:大山崎町教育委員会

 現地説明会に参加しました。
 200人はお越しになっており少々驚いた次第です。

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2005年01月21日

竜王神社 雨ごい

 天王山の山すそに広がる円明寺村。
 昔、八月から九月へ、実りの秋を前に日照りが続くと、村人は竜神をまつる「竜王神社」に集まった。
 「あーめー、たーまーえー。あーめー、たーまーえー」
 本殿をぐるぐる回りながら、”雨ごい”をしたのである。
 この円明寺村は水利が悪く、村人はたえず水に苦しんでいた。
 ただでさえ水不足なのに、少しでも日照りが続こうものなら、田んぼはたちまち干上がってしまう。
 ”雨ごい”の祈りは、まさに生活をかけたものだった。

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2005年01月15日

投石信仰の石倉神社

 円明寺の里、樹木がうっそうとおい茂る一角に、小さな社がる。

 近郷近在から信仰を集めていた小倉神社の参道沿い。
 そのむかし、よく晴れた秋のある日。里人の一団がこの小さな社にやってきた。
 社殿の前で伏しおがむと、小石を拾い始めた。
 小石を握りしめて「今年も豊年満作、無病息災で、過ごせますように」
と、いったかと思うと、ビューンと社殿に投げつけた。
 一人ではない。次から次へと、里人は石を拾っては投げつけた。
 神さまに石を投げつける、一般の神社もうでとはウラハラの異様な光景だった。
 「さあ、こらからが本参りじゃ」

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2005年01月14日

桓武平氏の祖

 阪急電車なら、長岡天神駅と大山崎駅の中間地点、阪急の新しい駅が出来るといわれている場所。
 住所でいうと、京都府乙訓郡大山崎町円明寺「円明寺が丘団地」の広がるところに“葛原(かつらはら)”という地名がある。
 この葛原、桓武天皇(781〜806)の皇子・葛原親王ゆかりの地といわれている。

 葛原親王(786〜853)は第三皇子とも、第五皇子だったとも記録されているが、大山崎に河陽離宮をおいた嵯峨天皇の異腹の兄弟であり、四品治部卿から大蔵卿、弾圧尹、中務卿など、当時の朝廷政府の職を経て、一品(第一位の親王)にまで昇進した。
 愛人が多く、子も多かった桓武天皇の皇子の中でも、エリートだったわけだが、王朝の権門にこびるようなことはなく、また、権門をカサにきることなく、いや、後続嫌い68歳の一生を終えた。

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2005年01月09日

大山崎の妙喜庵

 JR大山崎駅の改札を出ると、左側にあるのが「妙喜庵」。
 山崎の土地は、京都のような賑わいを「油の販売」にみせており、「山崎の合戦」以降に、秀吉が茶会を開いていた庵。

 その様に以前に聞いたことがありましたが、コメント欄にいただいた、まきさんのご質問から興味がわいたというわけです。
 しかし、残念ながら「拝観の御申し込みは、まずは必ず往復はがきにて拝観御希望の日の1ヶ月程度前に、申し込んでください。」とのこと。

 今回は、外観とご近所にて聞き込みをすることに致しました。
(なお、中に入りましても写真撮影は禁止されております)

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2005年01月08日

山伏の塚の大日さん

「ひょうざえもーん ひょうざえもーん はようかえしてくれーえ」

 その昔、時代は江戸末期の天保(1830〜1844年)のころ。円明寺村(大山崎町円明寺)に農業を営む兵左衛門の家が火事で焼けた。兵左衛門は、どうして家を直そうかと考えあぐねた末、先祖代々耕してきた山伏(円明寺の小字名)の土地を、同じ村の弥衛門に買ってもらうことにした。

 その次の日からだ。弥衛門の夢まくらに大日如来が立つようになったのは。
 そして如来は呼び続けた。

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2005年01月07日

子どもを守る大日如来

 円明寺村(大山崎町円明寺)は円明寺川(現小泉川)べりの河原に、子供のいのちを守ってくれるという地蔵さんがまつられていた。

 そのいわれは、わからなっかたが、“大日如来地蔵”と呼ばれていた。

 江戸時代はじめのころの話。
 出産の予定日を過ぎた村の若妻が苦しみだした。
 まる一日陣痛が続いたが、生まれない。
 このままでは、母子ともにいのちがあぶないと、気が気でない。

 「このうえは、あのお地蔵さんにおすがりするしか手だてはあるまい」

 必死の願いをこめて、家族と村の女衆たちが、“お百度”をふんだ。よほどの難産だったのだろう、その間も若妻の苦しみは続いたが、ちょうど三日目の朝、“お百度参り”が通じたのか、玉のような赤ん坊が元気な産声をあげた。

 「やっぱり、あのお地蔵さんのおかげ。お礼参りに行かなくては」

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2005年01月06日

えごま油(荏胡麻)

 初詣の際にご紹介しましたが、この「えごま油」の発祥地でもあるのです。
 時は、貞観元年(858)、清和天皇が即位されたころの平安の都は、群盗がはびこり、治安が乱れていた。

 「昨夜も、御所から遠からぬところに、物盗りが現れ、何人もの人が殺されたそうですよ」
 こうした話が宮中でも、まちなかでもかわされ、いつしか天皇の耳にも達した。

《民を安じるには、新しい神様を迎えて、王城の地を譲ってもらうよりない》

 天皇は、いつしかそう思われるようになっていた。すると、ある夜のこと、天皇の夢まくらに白衣の“人物”が現れ

 「われは、宇佐の八幡大菩薩なり。われを王城の地に迎えるべし」と告げて、かき消えた。
 夢から覚めた天皇は、さっそく名僧の誉れ高い南都大僧正の行教を召して、夢のお告げを話した。

 「それぞ、豊前国(大分県)にまつられている八幡さまの化身でございます。私がまいりまして」

 行教は、そう説明するとただちに、豊前国に旅立った。宇佐八幡宮に参籠九十日目、神託がおりて、行教は八幡大菩薩の分神を奉じて帰洛の途についた。

 幾十日が過ぎて、行教が都を臨む大山崎に着いたのは夕方であった。ふと行教が神振山のあたりをみると、薄ヤミのなかに、そこだけ“御照映”が差し、神々しい光を放っていた。「あの地は、どういうところか」

 不思議に思った行教が、村の古老にたずねると「嵯峨天皇の離宮があった場所で、聖地です」という。
 行教が、その地を訪ね、村人から借りたノミで岩をうがつと、清水がこんこんとほとばしり出て、かぐわしい香気がたちこめた。行教は二度の不思議に、さっそく天皇に使いを出し、このことを伝えた。

 天皇もこの話に大いに心を動かされ「奇しきことである。それほどの聖地なら、都に分神を持ち帰らずに、その地におまつりすべし。当地は西国から入ってくる都のノド首にも当たる。そこから京都をお守りしてほしい」と、大山崎の地にまつることを命じられたという。

 やがて、宇佐八幡宮に模した神殿が建てられ、分神がまつられた。大山崎の村人は「立派な神様をお迎えできて、こんなうれしいことはない」とお供えもチエをしぼった。そのとき、荏胡麻(えごま)の種から油をしぼり出すことを発見、お灯明として神前にささげた。

 離宮八幡宮の縁起であり、植物から油をとったはじまりといわれている。油は宮中にも献上され、天皇は「世の中を明るくしてくれた」と大層お喜びだったという。

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2005年01月04日

打出の小槌 宝積寺

 金運アップといえば大山崎町の宝積寺。
 名前も「宝寺」、「お」をつければ「お宝寺」ではないか。
 昔。養老7年(723)、奈良の都のこと。文武天皇第1皇子の夢枕に竜神が立った。
 なんでも雨を意のままにするという竜神。

 小槌を出して「これで、左の掌(たなごころ)を打てば、はかりしれない果報が授かる」というと、竜神は天へ舞いのぼった。
 第1皇子が目をさますと、お告げのとおり、枕元に小槌が置かれていた。

 それから75日目の神亀元年2月4日。
 第1皇子は即位、聖武天皇となる。
 竜神を信じる天皇は、故事にのっとって、恵方・乾(いぬい=北西)の方に、神器・小槌を奉納することにした。
 それが、景勝の地“山崎の里”だったという。
 そして、神器をまつる寺、宝積寺は宝寺と呼ばれるようになった。
 現存する小槌は、棒状で長さ約30センチの“打出”と、直径約15センチのタイコ形の“小槌”。
 大黒さまの“打出の小槌”の神話にあわせ、いつの間にか、宝寺の打出の小槌と呼ばれるようになった。
 境内の恵方・北西かどの蔵に収められている。

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2005年01月03日

ええじゃないか踊り

 酒に酔った村人たちが踊りはじめた。身ぶり、手ぶりは、一時のウサを晴らすのか、本当に喜びに包まれてなのか。

 「ええじゃないか、ええじゃないか」

 ここは、円明寺村。旧家を誇る弥平の庭先だった。幕末、慶応3年(1867)のこと。

 長州の浪士隊が山崎から出陣、京都で敗退、朝敵として追われた“蛤御門変(禁門の変)”があって三年、いよいよ物情騒然としたころだ。円明寺の村人も《あしたは、どうなることやら》と、不安を隠しきれなかった。

 とり入れも近づいた10月のある日、弥平の家の庭先に一枚の紙が舞い降りた。拾いあげてみると、なんと、伊勢皇大神宮の“お礼”。

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2005年01月02日

山崎聖天さん

 夫婦愛について。つまり夫婦の愛情にも御利益のあるお話し。

 むかし、昔。遠くインドに、殺人・強盗なんでもござれの非道のかぎりをつくす男がいた。
 加えて、超能力の男で、これをはばむ者はいなかった。

 そんな男の前に、突然、絶世の美女が現れた。
 「あなたほどの力ある人、悩める世のため人のために、心をいれかえてはどうですか」

 あまりの美しさにたじろいだ男は、やおら気を取り直して
 「わしのいうことを聞いてくれれば、あんたのいうとおりにしようではないか」

 美人も大きくうなずいた。

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2005年01月01日

小倉神社

 京都御所の方除けの神さまとして有名。喜式内社で乙訓地方で最も古い神社のひとつ、小倉神社に初詣。

 背後の竹林の中には、鳥居前古墳という4世紀末頃に築かれた前方後円墳があります。

 その被葬者が、後の時代に神格化されて神社が誕生したものと考えられています。

 西に小倉山の磐座、南に久保川の清流。本殿は北東向、京都御所大極殿に面する。
 背後の竹林の中に鳥居前古墳という4世紀末頃に築かれた前方後円墳があり、その被葬者が後の時代に神格化され神社が誕生したものと考えられます。

 御祭神:武甕槌神、斎主神、天児屋命、比売大神
 御神徳:武運長久、五穀豊穣、開運厄除
 御由緒:奈良時代の元正天皇の養老2年(718)に創建。桓武天皇の平安遷都(794)に際して御所の鬼門除けとして祈願され、 文徳天皇の嘉祥3年(850)神階最高位を賜り、以来、「正一位小倉大明神」と号する。延喜の制により式内名神大社に列す。 天正10年(1582)、山崎合戦の際豊臣秀吉が戦勝を祈願した。明治維新まで境内地は6万坪余。
 祭礼行事:神幸祭(5月3日)、還幸祭(5月5日)、 年30回余の宮座神事(射礼・太幣水無月座、餅座等)
 主な文化財:小野道風作扁額、神輿2基(江戸時代初期推定)、神幸祭板絵、侠客奉納相撲板絵、木彫隋神2躯(推定鎌倉時代〜)、木彫狛犬(推定鎌倉時代〜)、500年〜600年の樹齢と推定される樅(モミ)の木と杉の御神木
 御鎮座地:〒618-0091 京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前83
      TEL(075)956-2044
 交通手段:JR長岡京駅・JR山崎駅下車、徒歩30分。阪急大山崎駅・長岡天神駅よりバス10分。
 御朱印:9時〜16時
 特別授与品:牛王(ごおう)五穀豊穣、商売繁昌祈願授与品

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離宮八幡宮

 離宮八幡宮は日本の植物油の総元締めとされる神社。
 平安時代末期、この神社に仕える人が「えごま油」から、寺社で使う灯明用の油を大量生産できる「長木」を発明したといわれています。

 これによって、鎌倉時代、室町時代に、この神社を「油座」の本所と して、えごま油の製造販売権を独占して繁栄したことに由来しています。
 いまでも日本の食用油に関係する主な会社が「崇敬会」を作っておられます。

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